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  • 奥迫 哲也

初のテレビCM放映

「ドクターリセラ株式会社」に社名を変更

製品をさらに広めるには、知名度をアップさせる必要がありました。

2005年頃、サロンの先生方から「コマーシャルをしてほしい」という要望を受け、テレビCMを計画することに。

伝えたいのは「ドクターリセラ」というブランド名でしたが、テレビCMの考査に抵触する可能性があることがわかりました。
ただ、社名であれば使用できるとのことでしたので、2006年8月に社名を 「シーブレス」から「ドクターリセラ」に変更しました。

最初のテレビCMでは社名を全面に打ち出すとともに、近隣のエステティックサロンをご案内できるよう問い合わせ電話番号を宣伝しました。
イメージキャラクターには当時45歳であった常務の奥迫協子を起用し、より美しい肌へ導くことをアピールすることに。。

東京の取扱いサロン様による「常務の肌で宣伝するべき」という強い後押しもあり、本当にこの化粧品を使っている人の肌で真実を伝えたいということに賛同を得ました。
認知度アップ目的のCM作成でしたたが、その後の受け入れ態勢などが整わないまま、とある日曜日に初回の放映が行われました。

当時専務であった奥迫加代子1人のみのスタンバイでしたたが、テレビCMの放映が終わるとすぐに電話が鳴り始め、およそ1時間半で約20件の方に近隣サロンの情報資料を送ることができました。
しかし、問い合わせた方々が実際にサロンを利用したかどうかはわからず、CMの効果を確認する術もありませんでした。

 

通信販売事業の開始

次のテレビCMでは、有料サンプルを販売することにしました。
これには、肌の改善を真剣に考えておられるお客様の名前と住所がわかり、実際に化粧品を試してもらえるというメリットがありました。

ドクターリセラの顔となる製品を何にすべきか悩んだ末、3年かけて手がけた美容クリーム「スーパーホワイト エクストラ」が最適だと判断し、10gのサンプルサイズを作成。

注文対応のため、2006年9月に通信販売事業部を発足し、経験者である角井静を筆頭にコールセンターを構築していきました。
29分間の通販番組で会社の取り組みや理念を伝え、製品紹介を展開したところ「ノーファンデーション」などのキーワードが多くの方の目にとまり、初回おためしのオーダーが殺到するようになります・・・

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次回のコラムでは、「江津カスタマーセンターの開設」についてお話しいたします。

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COLUMNIST
奥迫 哲也
ドクターリセラ(株) 代表取締役社長
一般財団法人 りせら財団 理事
奥迫 哲也
TETSUYA OKUSAKO
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「全日本全身美容業協同組合」理事長
「財団法人 日本企業構造改革機構」理事

1964年、島根県江津市生まれ。
1993年、29歳で漢方薬局を開業。
1997年に株式会社シードとして事業拡大、
2000年にはエステティック事業部を発足させ、エステ業界に参入。
安全で結果が見える化粧品をコンセプトに自社製品の開発に取り組み、
2001年アクアヴィーナスシリーズ、2003年ADSシリーズ、
2017年Recella Divaシリーズ、2018年cocochiaシリーズを発表する。
製品は全国のエステサロン3,203店舗(2024年2月末時点)を通じて販売し、業界初「これがないと困るスキンケア」調査開始以来全年連続1位にも選ばれる。また、「ベストアイテム」では3年連続受賞し、殿堂入りを果たす。

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