今回は、当社のラジオ番組「水のほほえみ☆ドクターリセラ」で、
私とアシスタントの桑原あずささんとの二人の対談を一部音声を書き起こししてご紹介します!
今回は2021.10.22に放送された【奥迫社長の全ての原点とは】について
音声でお聞きになりたい方はコチラ⇓
「水のほほえみ☆ドクターリセラ」ページ
小学校時代に経験した「原点」について
奥迫
『こんばんは。ドクターリセラ株式会社 社長の奥迫哲也です。』
桑原さん
『パーソナリティの桑原あずさです。
今回は、奥迫社長がどんな人なのかについて伺いたいと思います。』
奥迫
『僕はですね島根県出身ですごく田舎で育ち、9人家族だったんです。』
桑原さん
『9人家族!』
奥迫
『はい。祖父と曾祖父、あと兄弟4人と両親と祖母で9人家族でした。
小学校の時に、祖父が60前だったんですけど亡くなったんですね。』
桑原さん
『そうだったんですね。まぁお若い。』
奥迫
『胃がんでなくなりまして、一緒に住んでいる家族の死というものを初めて体験したんです。
その時が今思うと原点だったと思うのですが、
実は半年ぐらい前に親戚の家に行ったとき、うちの父親が「実はお父さん、あと半年の余命なんだ」っていうのを障子越しに聞こえてしまって。。。』
桑原さん
『そのときは何歳くらいだったんですか?』
奥迫
『小学校3年生くらいですかね。
現実に半年経ったとき、亡くなったんですね。それがなんか信じられなくて。
その時は親戚が集まってお葬式をして人がいっぱい集まるんですけど、どんどんどんどん帰って行って家族だけになったときに、9人家族とはいえ、1人欠けるわけです。
僕は長男だったんで可愛がってもらったんですけど、その祖父ともう会えない事実と、「死んだらどうなってしまうのだろう」みたいな、「もう何もなくなってしまうのかな」とか。
そういった死に対する考えを、どう咀嚼していいのか分からない小学校3年生の時の体験っていうのが、原点にあったんですね。』
桑原さん
『ほんとに直面してしまったという感じですね。』
奥迫
『はい。でそこで、お坊さんが来て毎週、1週間に1回お経をあげてくれるんですね。でそのあと説法をしてくれて、すごく分かりやすく仏教について説いてくれたんですよね。
「誰しも必ずいつかは死んでいく」ということを自分の中で思って、
「1回きりの人生であれば、何か人の役に立てるような生き方をして、死んでいけたらな」というのを小学生から、中学生、高校生とずっと思っていたんですよね。』
桑原さん
『3年生の時にそれを感じることが出来たという。経験ですね。』
奥迫
『そうなんですよね。そこから、自分の将来的にやってみたいなっていう人の役に立てる生き方が出来たらいいな。そういう職業に就けたらいいなっていう。まあそれで薬っていう事だったんですね。
桑原さん
治すってことですね。
奥迫
薬局にまずは勤務していつか独立したいなというところで独立して。前の週でも話したんですけど、化粧品のこともいろんな疑問とかそういうものを体験することがあって、まあ今は食品とか内からの健康ももちろんやってるんですけど、最初のスタートが化粧品からになりましたが、内からと外からと両方で美と健康で貢献出来たらなっていう。
桑原さん
『「人の役に立ちたい」ということが事業の原点だったんですね。』
奥迫
『そうですね。』
桑原さん
『社長はもう事業を7個8個と、たくさん展開されていますが、お休みとかは取られているんでしょうか?』
奥迫
『最近はやっと取れるようになりました。』
桑原さん
『やっと?!』
奥迫
『最近はやっと、社員の皆さんが頑張ってくれて、それぞれの事業で責任をもってやってくれてるんで。やっと休めるようになりましたね。』
桑原さん
『沢山の事業量があるということは、情報量も決断力もいると思うんですけれども、心を休めるリフレッシュ方法など、どんなふうに整えていらっしゃるんですか?』
奥迫
『僕はですね。48歳の時に始めたゴルフですね。』
桑原さん
『ゴルフ!これは毎週通われているんですか?』
奥迫
『週1回は行きたいなと思って行っています。
スタートが48歳で、本当に遅かったんですよ。
だけどプレーがどうこうよりも、自然に癒されたり、少しずつ上手くなっていく感覚が楽しいんですよね。』
桑原さん
『なんか今ちょっとほっとしました。ずっとお仕事なのかなと思ったので。』
奥迫
『いえいえ、とんでもないです!』
音声でお聞きになりたい方はコチラ⇓
「水のほほえみ☆ドクターリセラ」ページ