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  • 中野 裕弓

こんにちは、中野裕弓です。

今年はいつもより早い梅雨明けで、連日 猛暑で大変ですね。

 

夏休みであちこちに旅行する方々からのフェイスブックの投稿には、国内外の旅の風景や旅行記があり、いつもそれを拝見してこちらも行った気分を楽しんでいます。

 

今月のコラムのテーマは「夏」

私の夏のハイライトといえば、、、

なんといっても「花火」です。

 

 

 

みなとみらいの花火

先日、7月14日.15日は地元、横浜 山下公園での花火大会でした。友人宅のバルコニーから見る花火はビルと海の借景も程よく、音と光の美しいショーを楽しみました。花火の前は、親しい友人たちとの美味しい食事を囲んでのゆんたくも恒例になりました。

軽妙な話題から、深い人生のことまであらゆる話題を縫いながら話題は尽きず、そういう時間を共有できるということが「今に生きる幸せ」と感じます。

いい仲間たちと美味しいものがあれば、いつでもどこでも心豊かな場が作り出せます。そういう場を沖縄では「ゆんたく」北欧では「ヒュッゲ」といって私のお気に入りの時間の過ごし方です。

外に出てみると浴衣の若い人たちも多く、都会の夏の風情を作っていました。花火、浴衣、日本の夏って感じですね。

 

 

 

ワシントンD.C.の花火

海外でも記憶に残る花火があります。

7月4日はアメリカの独立記念日、ワシントンD.C.では有名な大花火大会があります。

1997年当時、勤めていた世界銀行本部の同僚 マーサのお宅のパーティに招かれ、浴衣姿にサングラスで車を運転して出かけて行きました。

マーサの瀟洒なマンションはポトマック川のほとりの高台にあり、独立記念日の花火を鑑賞するには最高のロケーション。

吹き抜けの大きな窓から見る花火は 街で見かけるポスターの景色そのもの。それもそのはず、ゲストの一人は有名な写真家さんでその写真はまさにここから撮ったものということで記念にポスターもいただきました。

集まった様々な国籍のゲストたちは話題も豊富。料理、習慣、お祭りに始まって 教育、家族、国が違うと同じテーマでもものの感じ方、考え方もこんなに違うと ひとつひとつに感心したひと時でした。

異文化の環境では まずは相手の考え方、もののとらえ方を知ることが肝要と実感。

そして、誰もが同じ星で、同じ時間を過ごす、同じ人間だということを知れば、世界の無駄な軋轢は随分緩和できるのでしょうね。

モニュメントと言う高い白い鉛筆のようなワシントン記念塔越しに上がる花火。集まった異文化の人たちと共に歓声をあげて見たあの花火は素敵な思い出です。

 

 

 

秋田大曲の花火

今まで見た中で一番スケールの大きいものはなんと言っても秋田の大曲の花火大会です。

2016年8月27日。

それは私が脳内出血で倒れてから丁度 2年目でしたから記念日のようでよく覚えています。

大曲にお住まいのご親戚をもつ親しい友人ご夫妻のお誘いでした。

車イスでの外出で 人混みに出るのを躊躇していた私は 当初不安もありましたが、友人たちのあたたかいサポートで終始楽しく安全に行ってこれたことは その後のリハビリ生活にも活力を与えてくれました。

実はその数日前は大雨でした。時間をかけて用意した大スケールの河川敷の桟敷席は水浸しだったそうですが、当日は晴天でキレイな素晴らしい観覧席になっていました。そこここに地元の方々のおもてなしの心意気を感じました。

そもそも大曲の人口は7万人、ですがその日 花火を鑑賞しに来た人は70万人を超えていたそうです。驚きです。

私はラッキーにも友人のご親戚のお宅に泊めていただきましたが、

河川敷にキャンプする人たちもいれば、近隣の街からはすごい数の観光バスが、次々と人々を運んできていました。飛鳥クルーズの途中で船からバスで観に来た人も。

大曲の花火大会は全国の花火師さんたちの傑作作品の競技会なのです。各組の工夫を凝らした作品

が、次々と夜空に花開きます。川に1000メートルもの幅で花火の滝ができたり、オーケストラの音楽に合わせたミュージカルのような作品があったり、それはそれは私の想像を超えた大スペクタクルのショーでした!

3時間以上のパフォーマンスですから桟敷で楽しくお弁当をいただきながらの鑑賞、目にも耳にも心にも、五感全てに心地よい夕べでした。

 

途中、畳んでいた車イスを出してトイレに行きました。整然と並んだ沢山の仮設トイレには人の列。花火を見ながら並んでいましたがどこにも混乱なくスムーズ。

皆が譲り合いの精神で、車イスにも寛容で親切。皆さんの邪魔になったら悪いしと思っていた心配も吹き飛びました。

大曲花火の模様はBSの番組で放映が予定されていましたから録画して、帰って来てからも堪能しました。

いゃあ、日本の花火師さんの技術はすごい芸術です。パッと散って消えるからより心に残ります。

終演後、私たちのグループは皆さんがはけるまで桟敷にとどまり余韻を味わっていました。

70万人の人の波、さぞかし阿鼻叫喚かと思いきや、旗を持った添乗員さんの後を皆んな満足した笑顔で穏やかに流れに乗ってバスに向かっていました。

最後に見廻すと桟敷席にはプラスチック袋や瓶も缶もゴミもなくキレイ。土手までの通路に何箇所も作られた指定されたゴミ箱にきちんとゴミが収められている光景。

都会では大勢の人が去ったあとにはゴミは散乱していることも多いので、これは新鮮な驚きでした。

日本人のマナーの良さを改めて感じたのですが、大自然の中で、満ち足りた体験の後は誰も調和のとれた行動をとるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

花火の思い出は、花火そのものと

それを眺める背景の人間模様のあいまったものでした。

 

皆さまもステキな夏をお過ごしください。

 

ろみ

 

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COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
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19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

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