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  • 中野 裕弓

May I help you?

今から50年前の話です。
19歳で初めて日本から単独渡英。
ロンドンでの2年間、恩師の知り合いのご家族にお世話になりました。

ローマン夫妻はバッキンガム宮殿のすぐ近くのウェストミンスター劇場のマネージャーで、小さな住まいはその劇場の上にありました。

毎週1度、お食事にお呼ばれし、ひとり娘のJaneのお姉さんのように家族として親しくしていただきました。

お母さんのJillさんはお料理上手。
小さなお台所から毎回素晴らしいお料理が生まれ、みんなで楽しくテーブルセッティングしたものです。

家族の幸せってね、その家のフライパンの大きさによると思うの。
いつでも誰でも一緒に食卓を囲めるように大きなフライパンのある家族が理想だわ」と教えてもらいました。

1年ほど経ったころ、ふとあることに気づきました。

それは、

ローマンさんのお宅は、私がホームステイしているファミリーや他のイギリスの友人たちとは何か違う…

ある日、夕食後、思い切ってご夫妻に聞いてみました。

「このお宅に伺ってもうずいぶん経つけれど、他とは何か違うのを感じるの。いつも来たときより確実にFeel Goodになるのです。それってなぜでしょう?それは宗教や考え方とかですか?」

「私たちは英国国教会に属している普通のイギリス人よ」
「でも何か違うんです…」と私も食い下がると、

「そうかしら、もしあなたがそういうなら… MRAかしら?」

(MRAとは、ブックマン博士が提唱し、オックスフォード大学の学生を中心に展開された平和の活動。
国籍や宗教、肌の色、文化や言語の違いなどを超えて、人々が根本でつながることができれば平和の地球を作ることができる、と聞きました。そんな考え方に触れたのはその時が初めてでした)

常に穏やかで、愛が溢れ、ユーモアのセンスがあり、分け隔てなく誰にもいつでも手を差し伸べようというご家族の在り方そのものがとても心地よかったのです。

考えてみると、今から50年前にこういう体験をしたことも今の私の世界観につながるきっかけだったと懐かしく思い出しました。

ローマン家を通してたくさんの方々とお会いすることができました。
エリザベス女王も観劇にいらっしゃるこの劇場で、心に響く素晴らしい演劇の数々にも出会いました。

ローマンさんたちのいつも変わらぬ心地よさ、それは確実に周りに広がっていました。

そういえば、電話が鳴ると、通常の「Hello」ではなく、ローマンさんは必ず「5140, May I help you?」と出るのです。(5140はこちらの電話番号の下4桁)

そして「May I help you? 」何かお役に立てますか?どうなさいました?と呼びかけます。
今でもそのリズミカルな響きは耳に残っています。

電話の主は、その一言で緊張が解けてウェルカムされた気になるでしょう。

ローマンさんたちがいつも他の人に笑顔で手を差し伸べているのを見ていました。
それは自分の周りの人たちを“拡張した大きな家族”と見ている感じがしました。

表の顔と、裏の顔の区別のないシンプルで素朴で愛がいっぱいの生き方。
異国で1人で暮らす若かった私には学ぶところがたくさんありました。

ご夫妻から教えていただいたことにこんなこともありました。

Quiet moment
何かをするときにはその前に一人で静かな時(クワイエット・モーメント)を持つこと。
そして思うことを小さなノートに書きつけてみること。
そうすると自分の心の奥ではどう考えているかがわかるようになる、というものでした。
それ以来、常に手のひらサイズのノートを携帯していました。

● もう一つの May I help you?

自分が心が満たされて幸せだと、口からすぐにMay I help you?が出る体験を後にディズニーワールドで体験しました。

フロリダのディズニーワールドに人事関連の研修に行っていた時のことです。
毎日研修の後には必ずどこかのパークに行って、そこでのトレーニングが実際に生かされているかを見てくるのです。

毎日午後にパークに行く度に、キャストの皆さんのホスピタリティの姿に感動していました。

ある日、

おそらく今日着いたばかりの新米さん。
家族連れが道の真ん中で大きな地図を広げていました。
それを見た私は迷いなくつかつかと近づいていき、満面の笑顔でMay I help you?

もうキャストの一員になったような不思議な一体感に包まれて、その言葉が自然に出ていました。
困っている人がいたら、何かすぐに力になりたいという思いは、自分が徹底的にFeel Goodだったら自然に出るものだなぁというのを実体験しました。

これも懐かしい思い出です。

2024.3.22
Romi

SNSSHARE

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COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
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19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

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