Language

メニューを閉じる
  • 中野 裕弓

母に語る物語◇

 

5年前、86歳で空に還った母は最後の数年間は軽い認知症でした。

父母がまだ実家に住んでいた頃、泊まりに行く度、私は朝方に母のベッドに潜り込みいろいろな話をしました。

「お母さん、もうすぐお空からお迎えが来ると思うのね。
その時に慌てないようにどんなことが起こるか話しておくわね」

母は同じ物語を毎回ニコニコしながら聞いてくれました。

(以下は私が母に語った物語です。
こんな考え方もあるのかなと読んでいただけたら嬉しいです)

————————————————

私たちはね、時が来ると心(魂)が肉体から離れて自由に飛びまわることができるようになるの。
その時、ベッドの周りには家族や親しい人があなたの人生の卒業の時を暖かく見守っているわ。

あなたと離れることが寂しくて、悲しがって泣いている人もいるけれど、
あなたの心の中には悲しみはなく、ただただひとりひとりにありがとうの思いだけ。
この世で出会えたご縁に感謝でいっぱい。

しばらくするとあなたの心(魂)は地上を離れ空に向かって飛びたちます。
その途中はまるで何も見えない真っ暗なトンネルを進んで行くよう。
でもちっとも怖くないから安心して上がっていってね。

進んでいくと向こうのほうにちっちゃな光が見えるの。
その光の方向にまっすぐ進んでいってね。
するといつの間にかその光の光景の中にポンと飛び出ます。

そこはお日さまがサンサンと輝いていて花がいっぱい咲いていて小鳥も鳴いています。
そよ風が吹いていていい匂いが漂ってきます。

心はますます軽やかで怖いものは何もないし、体の痛みも心の不安も心配もありません。

心が愛でいっぱいに満たされていてとってもハッピー。
そしてやっとここに無事に帰って来れたーと喜んでいる自分がいます。

地上にいたときの辛さや重さや大変さは全て消えて、まるで生まれたての恐れを知らぬ幼い子どものように元気いっぱい。

私は地上でやりたいと思っていたことを一つ残らず全て終えて心軽やかに空に戻りました。

人生で起こった事が今では全て愛おしく、すべてに感謝で、やっぱり「すべては予定通り」でした。

今頃、地上では家族や大切な人が私のお別れ会のことで忙しいと思うけど、空の上では私の歓迎会で懐かしい人たちがみんなニコニコ顔で集まって賑やかに、、。

こんなことが起こるのですね。

————————————————

「お母さん、お空に還ったとき誰に最初に迎えに来て欲しい?」

「そうね〜、私のお父さんとお母さんにまず迎えに来て欲しいわ、
おかえり〜、よくがんばったね〜って。それから兄弟姉妹かしら」

そんな会話があったので、地上で母のお別れ会を準備していても、空の上での歓迎会のことを思い浮かべて心があったかくなりました。

それ以来、この世とあの世はそんなに遠くなくて心はいつも繋がれると確信しました。

そして私もお空に還るその日まで、日々を大切に穏やかに暮らしていこう、
そしてその日が来たら、お空でのみんなとの再会を楽しみにしようと思うようになりました。

Romi 2020.2
母の5回目の命日に

SNSSHARE

この記事をシェアする

COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
続きを見る

19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

他のコラムニストを探す
中野 裕弓の記事
中野 裕弓の記事一覧へ