母たる生き物は摩訶不思議な生態であると、間も無く五十路を迎えるこの年齢になっても
いまだ解明できない多くの謎に満ちている。
約3年前、母が救急車で運ばれた。
たまたま父が外出中で、自分で救急車を呼んだものの途中で会話が出来なくなり、
救急隊員の方が母の携帯の履歴の初めにあった私に連絡をくださった。
搬送先の大学病院に大急ぎで駆けつけると、心臓の機能が十分の一位に下がっていると
説明を受け、病室に行くと酸素マスクをつけて苦しそうにしている母の姿に涙が出た。
私を見ると、マスクの下から母が必死に何かを言おうとしている。
顔を近づけ、口の動きに全神経を集中させて母の言葉をすくい取ろうとした。
「野菜、ちゃんと食べてる?」
意味が分からない。腹が立ち、また涙が出た。
いつでも私のことを心から案じてくれる母。でも、幼稚園の頃から遠足の時にはいつも私のお迎えを忘れ、
誰もいなくなった教室で先生と2人でずっと待っているなどは日常茶飯事だった。
普通の生活は出来ないけど、でも母は今もちゃんと生きてくれている。
体調の良い時は少しなら話も出来る。
どうでも良い事やつまらないこと、何気ない日常の事を、母に話したくてどうしようも無い時がある。
今、母に聞きたいことは「コウノさん」のこと。
私が小学校3年生の頃から約10年近く、定期的に我が家に訪れた化粧品の訪販レディのコウノさん。
原色の青や緑をまぶたに塗り、ギラギラの真っ赤な唇をして、パンタロンスーツで白の乗用車に乗ってやってくるコウノさんは、
まだ幼い子供の私の目には異様な姿に見えた。
コウノさんが我が家にやって来た10年間は、元々身体が丈夫では無い母が働くようになり、家族にとって様々な事を乗り越えた時期と重なっていたと思う。
家に帰ると必ず母が居た生活が一変し、冬は真っ暗な家の鍵を自分で開けてストーブをつけ、お米を洗ってお風呂を沸かす毎日は、
小学生の私にとってはとても頑張っていた。
いつでも家の中をピカピカに磨き、お洒落でキレイで料理と裁縫が得意な明るい笑顔の母が、
疲れて掃除や料理が出来ない日が増え、機嫌が悪くなり、苦しそうにしている母を見ることがとても悲しく辛かった。
でも、コウノさんが来る時だけは違った。
朝から家をピカピカにして、普段は使わないサイフォンで母が好きなコーヒーを点て、
学校から帰るとコーヒーの良い香りがして、明るい笑顔の本来の母の姿に戻っている。
コウノさんと話をしながらとても楽しそうに笑っている。
化粧品好きな母は中でもマッサージクリームと日焼け止めが大好きで、疲れていても、
父と喧嘩をして泣いていても、熱が出ていても、私が物心ついた時から毎晩必ずマッサージクリームで肌をクルクルし、そして毎朝必ず日焼け止めクリームをつける母を見ていた。

私が化粧品メーカーに勤務してから数十年間、母に渡したマッサージクリームと日焼け止めの数は天文学的な数字であるような気がする。
何よりもその2つのプレゼントを母は喜んだ。
昔から母の素肌がとても美しいのはそのせいであると今は思う。
血流を良くして紫外線を徹底的にカットし続けた成果だと。
母の日が近づくとプレゼントを考える習慣が時折私を寂しくさせることにも徐々に慣れ、
年齢を重ねて母の人生を少しは理解出来るようになったと感じながら、ふとコウノさんの事を思い出した。
コウノさんとは母にとってどんな存在であったのか、本来の母に戻してくれたコウノさんの力とは、一体何であったのかと。
出会った当時、40代位だったのだろうか。
あれから約40年。
人を元気にするパワーをお持ちのコウノさんは、きっと素敵なご老夫人となって、
今もどこかで素敵に暮らしておられると思う。
母を元気にしてくれるコウノさんが大好きだったこと。
コウノさんが来てくださることが嬉しかったこと。
この場を借りてお礼とともに、その気持ちを伝えたいと思う。

来月のゴールデンウィークには母を連れて帰って来てくれると父が言っていた。
久しぶりに母に会い、コウノさんのことを聞いてみようと楽しみにしている。
2018年4月30日
ドクターリセラ リセラアカデミー
藤川知子