【カウンセリングを重視した薬局を作る】というビジョンのもと、開業資金を集めながら漢方や薬膳などの勉強をし、1993年9月、ついに大阪府茨木市内の商店街で漢方専門店「薬膳薬局」を開業することができました。
当初、漢方や薬膳は健康や食に関心を持つ人にニーズがあると考えていましたが、客足はなかなか伸びませんでした。
それからというもの、金融機関からの借り入れを含めて1,300万円あった開業資金は、薬膳薬局のフランチャイズ加盟金、店舗を借りる保証金、商品の仕入れ代金で使い果たしてしまい、家賃と薬剤師への給料を払うのが精一杯…
『商店街の利用者のニーズと店作りが合っていない』という現実を受け止め、不本意ながらも洗剤やトイレットペーパーなどの日用品を店先に並べ始めます。
それでもなお、自転車操業の状態から抜け出すことはできず、ある時期から問屋に支払う現金がなくなり、支払いを待ってもらっていた結果、商品の入荷が遅れがちになり店内から商品が減っていくのを目の当たりにしました。
お金に追われる日々が続くなか、元来前向きな性格である私は、「それでも何か解決策があるはずだ」と思い続けていました。
そんな中、ふと水道の水を飲んだとき、「水が不味い…。故郷である江津市(島根県)の水は美味しいけどなあ。」と思ったことをきっかけに家庭用の浄水器を扱うことに決め、お客様を店で待つだけではなく、『町に出て営業する販売方法』に切り替えます。
薬局の信用がベースとなり、最初の売り上げは順調でした。
しかし、契約数が600件を超えた頃から、成約率が70%から50%に落ち込み、解約数が増えていきました。
浄水器ブームで同業者が増え、新規のお客様を増やし続けるにはかなりの費用と労力がかかるように。
そこで取次店を募集することを決め、新聞の三行広告を出したところ、1本の電話が鳴ります。
その電話の主は宮津知子さんで、「アメリカのダイエット食品の販売代理店にならないか」という誘いを受けました。
会って話を聞いてみると、そのダイエット食品はカロリーバランスが整っているため、食事の代わりとしても摂取できる栄養補助食品でとても魅力的。
代理店になるには約60万円の仕入れ代金が必要で、借金の返済中に工面するのは難しかったのですが、「あなたが本気で決断するのなら、私も真剣にサポートします」と説得され、私は「この人と一緒に仕事をすれば、自分も勉強になる」と思い、期待と不安が入り交じった面持ちで、1995年にダイエット食品の販売を決断しました。
薬局での店舗販売と訪問販売をするほか、取扱店を増やすことにも力を入れ、茨木市内の補正下着のお店やクリーニング店、美容院、整体院などを次々と訪問。
本業である薬局の経営を並行して行う中で、悔しくもダイエット食品の問い合わせが多くなり、店の電話は鳴りっ放し。
妹である加代子を呼び出し、店番として健康食品のビジネスをサポートしてもらいました。
ダイエット食品の仕事を通して分かったのは、「やっぱり女性は心底綺麗になりたいんだな」ということ。
それとともに、高価な化粧品を使っても、『必ずしも綺麗になっているわけではないこと』に疑問を抱くようになり、「いつか自分の手で本当に綺麗になる化粧品を作ってみたい」と思うように。
それから活動を全国に拡大し、1996年6月に薬局を会社組織にし、有限会社シードを設立。
シードと名付けたのは、小さな「種」が大きな木になったり綺麗な花を咲かせたりすることに、人間の力を超えた可能性を感じたからでした。
その後はダイエット食品の売り上げで、借金を無事に完済。
次は資金を貯めて、夢であった『誰もが買いやすい価格で本当に綺麗になる化粧品を作る』という新たな目標に向かって走り続けました。
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次回のコラムでは、エステティック事業を発足し始めた時のお話をします。