当社のラジオ番組「水のほほえみ☆ドクターリセラ」での、
私とアシスタントの桑原あずささんとの二人の対談を、書き起こししてご紹介します!
今回は【『ゆの里』の水のパワー】について
音声でお聞きになりたい方は、
「水のほほえみ☆ドクターリセラ」ページでぜひご視聴ください!
『ゆの里』の水のパワー
桑原さん
「今回のゲストは和歌山県橋本市からいらっしゃっています、重岡昌吾社長です。
重岡さんは株式会社ゆの里を運営されており、先週はこのゆの里の誕生物語をお話くださいました。
参照:ゆの里公式サイト
お母様が、元々所有されていた土地から絶対温泉が湧くと確信されて、井戸屋さんが出ないと言っていたのに出てしまったという、スタートのところの話をお届けいたしました。
今回はこちらをもう少し深掘りしてお聞きしたいと思っております。
重岡社長、よろしくお願いいたします。」
重岡社長
「よろしくお願いいたします。」
桑原さん
「今週はその温泉ですね。」
重岡社長
「先週お話したゆの里スタートのときですね。僕が20歳のとき。それは温泉ではなく水だったんですね。
橋本健康ランドゆの里という名前でスタートしたんです。ところが、オープンして半年後に父が他界してしまいまして。大反対していたのが父でしたからね。
反対を押し切って、脳出血で他界してしまったので、母が落ち込んでしまって。」
桑原さん
「そうじゃなくても、もしかしたら心配かけてしまったんじゃないだろうかと。」
重岡社長
「後悔、後悔でね、落ち込んでしまったときに、毎日お風呂に来ていた不思議な山伏の人がいらっしゃったんですね。」
桑原さん
「またまたそんなお話ですね。不思議な方がいらっしゃったわけですね。」
重岡社長
「ホラ貝を持ってね、毎日お風呂に来られてその人が高野山に向かってホラ貝を吹く。
お風呂場で吹くんで、すごい響いて。」
桑原さん
「ちなみに上手だったんですかね。」
重岡社長
「いやいやそんなことはわかんない。子供が泣いて飛び出てくるから。
変なお客さんいます!って言って。」
桑原さん
「今週も開いた口がふさがらないんですけど。」
重岡社長
「でもその方がね、一ヶ月目くらいに、母に”実はこのゆの里が建っているところは特別な場所なんですよ”みたいなことを言われまして。
“本当は、ここが高野山が開かれる前の元の聖地だったんだ”っていうようなことを言われたんですね。」
桑原さん
「それはなんの根拠でおっしゃったんでしょうか。」
重岡社長
「わからない。初対面です。
“ここにこういう建物を建てられたのは、大きな意味と役割があって、恐らく3年5年したら色々な方が癒やしを求めてやって来られる場所になりますから、絶対に諦めずに続けてくださいね。”と。
もうバブルの絶頂期なんで、誰かにお任せをして父の事業を守らないとと覚悟し始めたタイミングだったんですけど。
でもそうやって説得されたので、母は、なんかやっぱり意味があってさせられたことなのかもしれないと思えたんですね。」
桑原さん
「これちょっと初歩的なことを聞いていいですか?
温泉ではなく健康ランドというのは、水は湧いていたけれど、沸かしていたということですか?」
重岡社長
「もちろん。もちろん。地下水です。」
桑原さん
「水は出ていたけど、温泉は出ていなかったということですね。
今で言う大浴場みたいな感じですね。」
重岡社長
「そうです。それでその方に言われたので、“全国からいろんな方が癒やしを求めてやってくるのであれば、最高の温泉がいるから、私が温泉掘る”って決心しまして。
平成元年に温泉工事を着工しまして。1187m掘ったんですが。」
桑原さん
「初め、50 mで諦めたところを。」
重岡社長
「50 mで地下水が出ました。今度は1187 m、温泉を掘るためにボーリングをしたんですけど
一枚岩でしてね。ものすごい堅い岩盤の一枚岩で、その岩の中に溜まっている感じの水を見つけたんですよ。
間違いなく良い温泉ではあるけれど、どうも下に流れがないから溜まっている感じだよって言われて。」
桑原さん
「どうしましょう。そこから何かあるのではないかとドキドキして聞いてますが。」
重岡社長
「どうしますかって言われたんですけど、”当然量はいいませんから、利用できるところまで仕上げてください”ってお願いして汲み上げてもらった温泉だったのでね。
どんどんくんで源泉掛け流しみたいな感じでは利用できなかったんですね。」
桑原さん
「なるほど。貴重なお湯になるわけですね。」
重岡社長
「それで、色んな方に相談したときに源泉にこだわらない方がいいんじゃないかと言ってくださった方がいて。
もとのお風呂に使っているお湯が柔らかくて良いお湯なんだから、かなり薄めて使ったらどうかって言っていただいたんですね。
それでそのアドバイスを聞いて、じゃあそうします、大事に使いますということで、いくつか浴槽あるんですけど、その中の一カ所にだけ温泉を混ぜて、ここにだけ温泉を入れてますよみたいな感じで。」
桑原さん
「ブレンドですね。」
重岡社長
「そうです。そうです。それで利用し始めたのが1990年ですね。平成2年です。
それでまあ一応天然温泉という形で利用し始めたのですが、結構温泉を使ってからですね。皮膚トラブルのある人、アトピーなんかの方がね、ゆの里の温泉に浸かっているとすごく楽になる、良くなってきたと言ってくださる人が増え出したんですよ。
やけどとかね、怪我したときに温泉の水だけで冷やすと痛みが消えるとか、回復が良いとか。」
桑原さん
「そういうお声があったわけですね。」
重岡社長
「いいえ。体験でわかったんです。」
桑原さん
「実際に重岡社長もそれを感じたということですね。」
重岡社長
「長女の、私の姉の娘が2歳のときにね。
熱湯かぶって、皮がめくれて、絶対ケロイドになっちゃうなというときに温泉水で冷やしていたら、痛みがすっととれたのか、すっと眠るようになって。
悲鳴のように泣いていたんですけどね。しばらくして目がさめたらもう大丈夫って。
そのまま水で、温泉で冷やしていたら、綺麗に何の跡形もなくなおったんですね。
私の兄は外科医なんですよ。やけどがこんな短期間で綺麗に良くなるなんて医者の薬使っても見たことがないって。
温泉ってえらく不思議な力があるな。特にこの温泉はやけどに効くんじゃないかって言われたので、母が思いついたのがスプレーだったんですね。」
桑原さん
「なるほど。それが口コミで広がっていったわけですね。」
重岡社長
「それでカウンターのすみっこにただ雑貨として温泉の水ですとスプレーを並べたのが平成4年。
そうするとその水を使って色んなことを言ってくださる人達が口コミ的に”不思議な温泉だ”と言ってくださったわけですね。」
桑原さん
「体感してこそ口コミって広まりますからね。奧迫社長。
どうですか今のお話をお聞きされて。」
奥迫
『千メートル以上はあったんですよね。
千メートル掘るのって、費用もかかりますからね。』
重岡社長
「かかるのと、岩盤が固かったので、当初の予定の3倍の時間がかかりました。
その水の体験を不思議だと言ってくださったり、そういう体験をしてくださった方って高野山の方が多くて。
高野山にお参りのお遠方さんやお寺の団体さんが多かったんです。」
桑原さん
「それはちょっとほら吹きの方を思い出しますね。」
重岡社長
「そうそう。地域の土地柄ですよね。
で、それをなんか不思議な水があるんですというお話を逆に高野山の人にすると、ゆの里って神野(このの)っていう土地なんです、地名が。
橋本市神野っていう地名の場所なんですが。昔、神野寺という三万坪くらいあったお寺の跡地で。」
桑原さん
「三万坪!」
重岡社長
「その神野に対して空海様がね、神野の聖地の下に人助けの水が出るみたいな言い伝えみたいなものが残されていた場所だよって。
そんなのは知らなかったです。地元の人も私の母も。」
桑原さん
「もう、奧迫社長、先週から日本の神話やらギリシャ神話やら混じったようなお話を聞いているような気持ちなんですけど。」
奥迫
『ほんとにね、講演を聴いたとき、引き込まれましたから。』
桑原さん
「そこからのリセラとのコラボレーションの水というのが生まれたという風にお聞きしていますので、まだまだお話をお聞きしていきたいと思います。
来週はその辺りを詳しくお二人から聞かせていただきたいと思っております。
今週も不思議でびっくりした話ばかりで。」
奥迫
『ほんとにね、もっともっと時間が欲しいですね』
桑原さん
「今週もありがとうございました。」
重岡社長
「ありがとうございました。」
奥迫
『ありがとうございました。』
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