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  • 奥迫 哲也

ゆの里の誕生秘話

当社のラジオ番組「水のほほえみ☆ドクターリセラ」での、
私とアシスタントの桑原あずささんとの二人の対談を、書き起こししてご紹介します!

今回は【ゆの里の誕生秘話】について

音声でお聞きになりたい方は、
水のほほえみ☆ドクターリセラ」ページでぜひご視聴ください!


 

ゆの里の誕生秘話

奥迫
『こんばんは
ドクターリセラ株式会社代表の奥迫哲也です。』

桑原さん
「パーソナリティーの桑原あずさです。
なんと今日は和歌山からゲストにお越しいただいています。
よろしければ社長からご紹介いただけますか?」

奥迫
『はい。以前番組の中でも何度かお話させていただいたのですが、今弊社の飲料水に多大なるご協力をいただいている、和歌山県にある”ゆの里”という温泉施設があります。

本日は、代表取締役の重岡社長に来ていただきました。
また後で話しますが、先代のお母さまが社長で、そのお母さまからの言い伝えで、あまり宣伝をされていないんです。

宣伝をされていない中で僕も口コミで知りまして、
その口コミも3人から聞いたので、「これはやっぱり行くべきだな。」ということで、一昨年の11月に初めて和歌山県の橋本市に行き、そこで出会いました。
講演を聞いて非常に感銘を受けたという出逢いがあります。』


参照:ゆの里公式サイト

 

桑原さん
「はい、ありがとうございます。
今回は株式会社ゆの里代表取締役の重岡昌吾さんとお話をお送りします。
重岡社長よろしくお願いします。」

重岡社長
はい、よろしくお願いいたします。

桑原さん
「はい、今ご紹介いただきましたが、
奥迫社長のお話をお伺いされて、重岡社長いかがでしょうか。」

重岡社長
「そうですね、もう2年前なんですね。」

奥迫
『そうですね。』

重岡社長
「すごい不思議なご縁で。
お会いした翌日の朝も偶然またばったりと会って、話がどんどん進んで盛り上がりました。」

桑原さん
「また、同じタイミングに3人の方から、、?」

奥迫
『実は17.8年前、「和歌山県にすごい良い温泉があるよ。」と聞きまして。
その時はただの温泉かなあとしか思っていませんでした。いい温泉は沢山あるので。』

 

桑原さん
「流れで聞いていたんですね。」

奥迫
『2人目からもそのゆの里の話を聞いて、「あー前も聞いたな」となりました。
そして、去年の8月に3人目から聞いて。「ええ!これ3回目だな」と。』

桑原さん
「長い年月を経て。」

奥迫
『ええ。
これ水のことであれば1回は行くべきだと言われて、11月に行って話を聞いて驚いたという。』

桑原さん
「その驚いたという点について、、。
温泉は星の数ほどたくさん、いい水、美味しい水があるといわれるなかで、どのようなところに驚かれたのですか?」

奥迫
『本当にいい水ってたくさんある中で、重岡社長の講演を聞いたんです。』

桑原さん
「はい。」

奥迫
『お母さまが温泉を掘り当てたストーリーから始まりましたが、実はそれだけではなくて。。
詳しくはこの後重岡社長からもお聞きしますが、

お母さまのインスピレーション直観力などそのようなものもあるのですが、
ただそのようなことだけではなく化学的な根拠もしっかりととられて。』

桑原さん
裏付けもあってということですね。」

奥迫
『そうです。そのバランス感覚がすごいなっていう。』

桑原さん
「絶妙だったわけですね。」

奥迫
『そうです。最初は、前者のみの話かなと思っていました。いい水はたくさんありますから。

しかし、それがしっかりとしたデータをとられながら、とても研究をされているということで、
和歌山県の橋本市で世界最先端の水の研究をされているということに本当に驚きました。』

桑原さん
「はい、ありがとうございます。
重岡社長、そのお母さまとのエピソードをお聞かせいただけますか?」

重岡社長
「はい、なんか恥ずかしいですね、ここまで言っていただくと。」

奥迫
『いやいやいや。』

重岡社長
「もうゆの里って35年※になるんです。今年で35周年※で。
僕今年で55歳なのですが、母が53歳の年に、突然「健康ランドをしたいんだ」と言いだしまして。」
※2022年5月時点

桑原さん
「それまでは全く?」

重岡社長
「母は何の事業もしたことがなかったんですよ。」

桑原さん
「はい!53歳でですか!」

重岡社長
「53歳でです。」
「これからは自分の健康は自分で守らないといけない時代が来ると思うから。だから本当の健康ランドをしたいんだ」と突然言いだしまして。
当然家族や親父、周りは突然のことでびっくりして大反対でした。
ただ母は、私が子どもの時からかなり変わった母ではありましたので、「いいのいいの」っていう。」

桑原さん
「その時はおいくつだったんですか?重岡社長は」

重岡社長
「僕は20歳だったんですよ。」

桑原さん
「なるほど。社会人になろうとかなという、、。」

重岡社長
「僕は大学3年生で、父がやっていた事業を継ぐつもりで大学に行っていたんです。」

桑原さん
「え、健康ランド?お母さん!という感じですよね。」

重岡社長
「そうです。父がやっていたのは織物業だったのですが、その織物業を継ぐつもりで僕はずっと小中高大学と通っていました。
しかし、母が突然そう言いだしまして、、。
また、母は「私水道水を沸かしてお風呂屋さんをするつもりはないから、まずは水を調べてもらう」と言いました。」

桑原さん
「本格的な健康ランドですね!53歳の時に!」

重岡社長
「勝手に自分で、井戸屋さんを探してきたんです。
この下に水があるかどうか調べてください」とお願いしまして。」

桑原さん
「この下というのはどこだったんでしょう?」

重岡社長
「今ゆの里が建っている敷地です。
そこの土地も不思議なご縁で、実は母が持っている敷地だったんです。」

桑原さん
「元々持っていらっしゃった。」

重岡社長
「はい、母が所有していた土地で。
『なんかここで私は恩返しをしないといけない』と言いだして、、。」

桑原さん
「それまでその土地は何に使われていたんでしょうか?」

奥迫
『それも突然買われたんですよね?』

重岡社長
「そうです。」

桑原さん
「いきなり?!
なんかこの土地買う!という感じで買われたんですか?」

重岡社長
「昭和50年に。とても傾斜地のはっさく畑でしたが、
その正面の道に父が持っていた小さな土地があったんです。

はっさく畑の所有者に、「どうしても入口がないから土地を売ってほしい」と言われ理由を聞きそんなに急いでいるならと母がそこに行くと、

「あ、ここは私が買わんとあかん土地や」と思ったらしいんですよ。」

 

桑原さん
「その使命感を感じられたのでしょうか。」

重岡社長
「それでその土地に立って山の景色を見た時に、
「そんなに売りたくて入口をつけたいっていうことであれば私が買うわ。」と言いました。」

桑原さん
「はい?!」

重岡社長
「それを見た日に、父に内緒で手付けうってしまい、、。」

桑原さん
「なんて行動力!53歳で健康ランドの前に、そこから行動力は始まっていたんですね!」

重岡社長
「そうなんです。それが母が41歳の時です。」

奥迫
『直感なんですね、この土地!とピーンと来たんでしょうね。』

重岡社長
「直感ですよね。」

桑原さん
「でもそのときにまさか自分が温泉をするなんて思っていらっしゃらなかったでしょうね。」

重岡社長
「その土地ははっさく畑の入り口もないとても傾斜地だったのですが、
数か月後に橋本市が土地を一部買い上げて、道をつけてくれるということになりました。
その市の買い上げ価格が、自分が買った金額の3倍くらいで、これは本当にそこで何かをしろということだと母は思ったようです。」

桑原さん
「まあ!その時何かわからないけどなにかするんだなと。」

重岡社長
「それで水があるか調べてくださいと調査をお願いすると、
ない、と言われたんですよ。」

 

桑原さん
「それはもうパッと見た瞬間にないと言われたんですか?」

重岡社長
「掘るのではなく、調査をしてもらいました。
機械を使って水脈の調査があるみたいなんです。」

桑原さん
「なるほど~」

重岡社長
「『この下は水がないので、水道水を使うしか無理ですよ』と言われました。

しかし、母は変わったとこがあるので、
やろうと思ってることを人がやる前に反対してくると、余計にやりたくなっちゃうんですよ。」

桑原さん
「まあ!ないと言われただけなのに、どうしましょう!」

重岡社長
「母は『私はあると思う』というんです」

桑原さん
「あら!ないと言ってるのにあると思うと!」

重岡社長
「『まだ掘ってないじゃん、そんなの分かんないじゃん』と。
だから、ここを50mだけ掘ってくださいと言いました。」

桑原さん
「聞いててドキドキしてきました!」

重岡社長
「深さを指定して掘ってもらいました。
最初は当然のように出なかったんです。
300mから350mくらい掘れば出ると思いますと言われたのですが、その日のお昼に地震が起こったんです。
それが橋本市だけが震度4というとても局所的な地震でした。」

桑原さん
「またそこだけが!」

重岡社長
「そこだけです。母と自宅にいた時だったのですが、家から飛び出すほどの揺れで。
揺れが収まったときに母が『これ絶対私にお水与えてくれるために起こった地震だから水出たよ』と言って、、。」

桑原さん
「ええ?!見に行ったんですか?」

重岡社長
「井戸屋さんに『水出たから汲んで』と電話しました。」

桑原さん
「その様子を見に行っていないのに?!」

重岡社長
「見てないです。
そしたら『出ませんよー』って言われたのですが、『出たから汲んでみて』と母が返しました。」

桑原さん
「お母さん、、。」

重岡社長
「そして汲んでもらったら本当に出てきちゃったんです。
水量が豊富水質が良いということが分かりました。
『これはもう天が与えてくれた特別なお水だからお前手伝え』と母に言われまして。」

桑原さん
「もう開いた口が今塞がらないです!そんなことあるんですか!」

奥迫
『お母さんそういう直感力とかすごいんですね。』

桑原さん
「直感というか、なんなんでしょうね!」

奥迫
『もう越えてますよね。』

桑原さん
「直感・・・。
もうなんか地球まで動かしたんだと今思ってしまいました。
揺らして、地割れさせたくらいの!」

奥迫
『本当ですね。』

重岡社長
「何も分からないまま、『私がやるほうがおもしろいから手伝いなさい』と言って一緒に始めたのが1987年ですね。」

桑原さん
「ある意味とても説得力がありますね。
今回はこのゆの里のはじまりのお話をお伺いしました。
今回を含めて5回にわたり、重岡社長と一緒に3人でお話をお届けしていきたいと思います。またよろしくお願いいたします。」

奥迫
『よろしくお願いいたします。』

重岡社長
「よろしくお願いいたします。」

桑原さん
「ありがとうございました。」


音声でお聞きになりたい方はコチラ⇓
水のほほえみ☆ドクターリセラページ

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COLUMNIST
奥迫 哲也
ドクターリセラ(株) 代表取締役社長
一般財団法人 りせら財団 理事
奥迫 哲也
TETSUYA OKUSAKO
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「全日本全身美容業協同組合」理事長
「財団法人 日本企業構造改革機構」理事

1964年、島根県江津市生まれ。
1993年、29歳で漢方薬局を開業。
1997年に株式会社シードとして事業拡大、
2000年にはエステティック事業部を発足させ、エステ業界に参入。
安全で結果が見える化粧品をコンセプトに自社製品の開発に取り組み、
2001年アクアヴィーナスシリーズ、2003年ADSシリーズ、
2017年Recella Divaシリーズ、2018年cocochiaシリーズを発表する。
製品は全国のエステサロン3,203店舗(2024年2月末時点)を通じて販売し、業界初「これがないと困るスキンケア」調査開始以来全年連続1位にも選ばれる。また、「ベストアイテム」では3年連続受賞し、殿堂入りを果たす。

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