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  • 中野 裕弓

流されるのではなく 流れに乗っていく生き方

先日、遠方まで行く用事があり
友人が車で迎えに来てくれました。
途中、かなり長い渋滞に遭いました。

こういう時、人によって対応はまちまちです。

「もっと早く出ればよかった」
「違うルートにすればよかった」
「そもそも別の日にすればよかった」などと過ぎた過去に意識が向くひと

「遅れないで到着できるか」
「他人に迷惑をかけたらどうしよう」
「遅れたらどう思われるだろうか」
まだ起きていないことを心配するひと

「大丈夫〜
遅れてもどうにかなるから〜」
能天気なひと

「これも何かの意味があるに違いない」と目の前の状況にその都度深い意味を感じ取ろうとしすぎるとひと

いろいろありますね。

交通渋滞にあって早く進めない、という不可抗力の事態、カーナビは渋滞回避ルートを次々と示してきます。

それに対してその友人の反応は臨機応変。どこにも心の抵抗がなく感情やエネルギーのダダ漏れがなく穏やかでおおらかで自然体で車を走らせています。

おかげで車中は終始和やかで一緒にいる私たちのFeel Goodのエネルギーは、外の環境に全く影響されませんでした

楽天的な人たちが乗っていたといえば、それまでですが、なんだかそれとも違うと感じました。

運転をしている友人は外の状況を受けてその都度、その都度、流れを読み身の処し方、感情の動き全てがスムーズに流れているようでそれがとても新鮮な感覚でした。

帰路の車中、こんな話をしてくれました。

その友人は幼い頃から、仏教の信仰のある家庭で育ったといいます。

そして家庭の中でよく語られていたこと。それは…

「世の中には流れがある。
流れを感じたら、流れを読み、その動きに逆らうことなく積極的に流れに沿って動く」

人生には流れがあるというのです。

例えば、何かをしようと思っていた時、そこに別の流れが生じた。
そんな時は本来目指していた方向に執着することなく、即、その新しい流れを受けて素直に進んで動いてみるというスーパー能動的な考え方。

それは逆らうでも避けるでも、巻き込まれるのでもなく、単なるいきあたりばったりでもありません。

大いなる力が働いていることを意識し信じてさらりさらりと波に乗って行くような感覚でした。

大きな視点で物事を捉えると、目の前の刻々と変わる事態に対しても心乱されたり、感情に振り回されることなく落ち着いて明るい未来の状況につないでいくことができるのだと感じました。

大いなるものに「生かされている自分」という立ち位置を持ち、謙虚に自ら能動的に動く

なかなか爽やかな生き方だと感じ入りました。

途中の長い渋滞にもかかわらず、目的地には予定の時間に余裕を持って到着できました。

そしてその道中は移動するFeel Goodのゆんたくの場でした。

2022.12.1
Romi

SNSSHARE

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COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
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19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

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