あるカップルが結婚10周年を祝うことにしました。
親しい友人4人を自宅に招きみんなで楽しく食事をしていたときのことです。
奥さんが台所に立っていると、食卓でガチャンと音がしました。
「あ、ごめんなさい。グラス割っちゃった〜」ご本人もパニックになっています。
奥さんはギョッとしました。
今日は特別な日、お客様をおもてなししようと大切にしまっていたバカラのワイングラスをテーブルに並べていたからです。
そしてそれは10年前新婚旅行で出かけたヨーロッパで買ってきた思い出のグラスでした。
ダイニングではみんなが食卓に散らばったガラスを片付け始めていました。
ご本人も大切なグラスを壊してかなり恐縮しています。
奥様にとってはお客様の事より…
バカラのグラスが割れたことがショックで頭が真っ白。
「だいじょぶだった? 怪我しなかった?」
と相手を気遣う言葉が彼女はとっさに出なかったそうです。
後に自分の了見の狭さをかなり悔いていらっしゃいました。
でもその時、頭の中はいろいろな思いが交錯していたそうです。
それは…
・ やっぱりバカラのグラスは食卓に出すべきじゃなかった。
・ 何と言う損失!新婚旅行の思い出だってパーになっちゃいそう。
・ お客様に見栄を張ったバチが当たったんだわ
・ このお客様はがさつだからもう二度とこういう人には大切なものは出さないわ、というよりもう二度と我が家の食事にはお招きしないわ…
もしかしたらこのこと以来、その友達とは感情的にぎくしゃくして友情が壊れてしまったってことだって考えられますよね。
さて、それでは今度はこういう光景を思い描いてください。
同じシチュエーション、同じように食卓でグラスが割れました。
そのグラスは普段使いのガラス製品だったとしたら?
ガチャンと言う音を聞いたあなたのリアクションはきっと間違いなく
「大丈夫だった?怪我しなかった?」
「ううん、グラスの事は心配いらないわ、それよりお洋服にかからなかった?」だったでしょうね。
同じ状況でも”もの”が違うとこちらの感情もこんなに違います。
起こった出来事は全く同じでも、介在するものの貴重度によって自然に態度が変わってしまうのですね。
それで友情まで失ってしまうとしたら、なんだか寂しいなと思いました。
変わらないものは
「世の中に変化しないものはない」と言う真実だけ。
どんなにあなたが大切にしているものでも、役目が終わったときにはあなたの目の前から消えたり、壊れたり、形を変えるものなのです。
そう思ってみませんか。
目の前で起こる出来事に、もっと寛容に対応できるようになると思います。