20代の終わりの頃です。
会社の同僚が「中野さんてどういう人?って聞かれたので、いい人よって答えておいたわ」
それを聞いて私は複雑な思いでした。
なぜならそれまでは「いい人」と思われたいと言う気持ちで職場でも人に接していたからです。
それなのに自分のことを簡単に「いい人」と表現されたときになんとも寂しい、虚しい気がしたのです。
社会に出たてならばまだしも、もうすぐ30歳になろうとする社会人がその一言で片付けられた時、嬉しいどころかとても薄っぺらい気がしたものです。
「〇〇さんはユーモアのセンスがあって愉快な人」とか「〇〇さんのここは一目置くわ」あるいは「彼女はこのことについては独特な考えを持っている」など、もう少し細かくキャラクターが見えるように伝えてもらえるように個性を磨きたいと思い直しました。
それが例えマイナスなことだとしても、相手は私のその部分をきっちり認識してくれていると思うようになりました。
その時からです、
単にいい人と言われることを目指さなくなりました。
そもそも「いい人」とは誰にとっていい人なんでしょう?
周りにとって都合のいい人になっていないでしょうか?
自分の本音と相反してはいないでしょうか?
外に対して「いい人」を演じるために、自分に対しては過酷な人になっている場合だってあります。
自分の心は本当に納得していないのに、周りに合わせて建前で取り繕うことをしていると外から見て「いい人」かもしれませんが、自分の本音がわからなくなりますからご注意。
また「いい人」とは無難な人ともとられがち。
つまり、自分独自の考えを持つことも表現することもなく周りに流されやすくなりますよね。
自分の人生は自分のものです。
あなたが「いい人」を止めるだけで周りの人や社会のあなたに対する見方も変わってきます。
常に自分の本音に敏感に、心にストレスが残らないような自分らしい生き方を目指しましょう。
他人にとってではなく、自分にとって「いい人」を目指してくださいね。
参考: 中野裕弓著「幸せになるために捨てるもの84のリスト」日本文芸社